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村上春樹:遠い太鼓 蜂のジョルジョと蜂のカルロ

  • 2004-07-21 (水) 2:41

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遠い太鼓 講談社文庫
村上 春樹 (著)

夏になると読み返したくなる本。
それが遠い太鼓。
人生と理不尽さと疲れを適度にやり過ごすコツみたいなものがわかる本。
旅の楽しさと寂しさ、トラブルの対処、(とはいえ精神的な)、ことがわかる本。
実際にはイタリア、ギリシア、イギリスと常駐的旅行者としてのエッセイ。
物事を一般化することなく、安易な感動を書かない旅行記。

冒頭疲れきった村上春樹氏の頭を2匹の蜂が飛び回っている。
おそらく何かにおわれていて、頭から離れない何か。
蜂のジョルジョと蜂のカルロと名づけられたそれ。
イタリアに入ってからしばらくつづく、ぶんぶんぶんぶんぶん、という唸り。
その昔に読んだときにはこの章が嫌いであった。
異常なけだるさ。テンションの違い。
なんでこの章がここにあるのだろう、と。
奥付を見返す。
第9刷、1998年とある。文庫で買ったのでハードカバー(1990年刊)はもっとはやく出ているが。7年前、ということでその昔は7年前。

今となって読み返すと、40歳の前にやるべき横たわっている何か、好むと好まざるに関わらずやってきて後戻りできなくなる何か、というものが漠然とわかる。以前読んだときもわかったと思っていたのだけれど、そのときよりも今のほうがリアリティがある。

今、とある年齢の前にやろうとしていることがあるからかも知れない。
それは単に漠然とある区切り、みたいなものだけど。去年あたりからそのような見方に変化しているのを漠然と感じていた。この章はなんというかスタートの錘みたいなものなのかも知れない。

村上春樹のエッセイはとてもおもしろい。
でもこの「遠い太鼓」ほど読み返している本はほかにない。いろいろな文章がつまっているからだろうか。何度か読み返しているけれども毎回何かが新しい。

「ノルウェイの森」をこの旅行のときに執筆している。ノルウェイの森を読んだのは高校生のときだ。なぜかすでに村上春樹は読むべき本であり、当然のように熱中して読んだ。学校があるのに明け方まで読んで読み終わった。まあ高校なんて行ったら寝てればいいんだからそれで当時はよかったのだが。。。(そんな生活のつけは後々払わされることになるが、ここでは割愛。)そのあとに爆発的に売れて、んー、なんで今頃と思ったのをよく覚えている。

何かを触発されるような感じが持続する、そういうことはあまりない読後感だったのでとても印象に残っている。頭ではなく、体感として残っているような感じなのだ。それが書かれた時期に海外でこのような生活をしていたのか、ということがとても印象深い。

そして「ノルウェイの森」が40歳を前にして横たわっている何かの通過点として生み出されたということ。おそらく小説が書かれたときの背景を作家本人がこのような形で文章にしていること、は少ないだろう。

動機と、経過と成果物。一連の流れ。
もちろんそれだけではない、日常を綴った小気味よい文章。

この夏におすすめの一冊。
無人島に何の本を持っていくかといわれたら僕は「遠い太鼓」を持っていく、と答えます。

本日のプールサイドで読んで、やはり夏の本だな、と再確認。そしてやっぱりおもしろいな、と。

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