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	<title>Sunday blog &#187; 本</title>
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	<description>スクラップブック + おいしいもの + お料理 + 写真 + お買い物 + 音楽 + 本 etc + アンテナにピピッ！ときたものをお届けしています（毎日日曜版）</description>
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		<title>「当事者の時代」佐々木俊尚著を読んで　ーその3ー</title>
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		<pubDate>Tue, 15 May 2012 17:40:21 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[「当事者」の時代 (光文社新書) 著者／訳者：佐々木　俊尚 出版社：光文社( 2012-03-16 ) 価格：￥ 998 ISBN-10 : 4334036724 ISBN-13 : 9784334036720 &#160; 「当事者の時代」佐々木俊尚著を読んで　ーその1ーを書いたあと、ご本人宛てにツイートしてみた。すると60~70年代の再評価も、本書の目的の1つというツイートを受け取ったのだった。（こんなインタラクティブな読書経験をできるなんて素敵な時代になったものです） &#160; 当時の学生運動の問題意識と精神は再評価されるべき、というのが本書の目的のひとつ＞「もやもやとして理解できなかった1960～70年代あたりのことが時代背景とともにすっきりと整理されてくる」／ 「当事者の時代」を読んで http://bit.ly/IalAcl https://twitter.com/#!/sasakitoshinao/status/193119043132207105 &#160; さて「当事者の時代」の理解を深めるために各年代の著名人を並べてみた。するともやもやしていたイメージや時代背景は少し鮮明になった。ちょっとした時代の記憶の断片や読んだ書物の点と点が線となってつながる。そしてなだらかに今につながってくる。昭和時代の描写に補助線が引かれ、曖昧な記憶が具体的な像を結びはじめ、イメージしていた全体像が一段クリアになる。 &#160; 1950年以前 1932年　石原慎太郎（昭和7年） 1940年　立花隆 1941年　柄谷行人 1946年　猪瀬直樹 1948年　糸井重里 1949年　村上春樹 1950年代 1950年　内田樹、中沢新一、平川克美 1951年　高橋源一郎 1952年　坂本龍一 1952年　村上龍 1957年　浅田彰 1959年　宮台真司 1960年以降 1961年　佐々木俊尚 1971年　東浩紀 &#160; ここで列挙したのは表現活動を行なっていて、その著作を聞いたり、読んだりしたことのある人物を個人的な興味と関連付けにもとづいて並べたもの。なので然るべき人物は、人によっていろいろと変わってくるとおもいます。本書は60年代～現在にいたるまでをスコープの範囲に入れているので、こういった視点で眺めなおしてみるのも整理の一助になり新鮮でした。 &#160; 一息の長いテキストというのはこういう著作のことをいうのだろうな、という読後感を抱きます。 &#160; パブーから電子出版もでています。490円という思い切った価格設定。]]></description>
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		<title>「当事者の時代」佐々木俊尚著を読んで　ーその2ー</title>
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		<pubDate>Wed, 25 Apr 2012 00:02:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Sunday blog</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「当事者」の時代 (光文社新書) 著者／訳者：佐々木　俊尚 出版社：光文社( 2012-03-16 ) 価格：￥ 998 ISBN-10 : 4334036724 ISBN-13 : 9784334036720 &#160; ビジネスマインドの視点から1960～70年代の市民運動の成果ってあったのだろうか。忘れ去られる歴史の一幕として位置づけられた時、それは成果物がない出来事であったのだろう、自分はそのように考えはじめようとしている一人であった。そのもやもやとしていたものがかたちになってきたのは震災後である。 &#160; 本書はタイミングよくそこに一石を投じる。その成果物は「七・七告発」である、と定義付ける。重大な転換点であり非政府的な市民の活動の多くはこの1968年の革命の延長線上に展開されている、と。 &#160; マイノリティ目線が取り戻された成果の影響力は良い面と悪い面を持っていた。本書はその副作用、マイノリティに向かい憑依することについて光を当てて洞察を重ねていく。 &#160; 「辺境（マイノリティ）へ」＝「現地へ入る」という社会学、文化人類学の伝統的なアプローチは、市民活動では力を発揮することができなかった。それは身の置き場を変えて視点が変わり、今まで持っていた考えが押し流され、現実に飲み込まれていくことに終始してしまう。 &#160; でも冷静にみてみると決定的な違いは最初からそこにある。現場から運動を起こしていくことを内包した市民運動の思想と、いずれは戻ってレポートする学術目的からも読み取れるシンプルなことなのだった。なぜここで市民運動と文化人類学とがおなじ土俵で論じられるようになったのかはよくわからない。きっと同時代性を持つものとして文化人類学が注目されていたのだろう。 &#160; こういってしまえば身も蓋もないがマイノリティに身を投じて没入していったところで、世の中を動かしていく力にはなりえないだろう。思想を鋭く捉えて、自己を移動することはロジックとしては正しいように見えるが、実際のところその思想の目指す運動性と未来は停止してしまう。視点を入れ替えた時点で、自分の見る世界観が変わってしまい運動の羅針盤を失うのだ。 &#160; しかし、同時代を生きていたらそれは見えにくいことだった。行動した本人の探究心と好奇心は満たされるのだろうけども、そこから再度でてこなければ世界を相対化できない状況に陥ってしまう。落ちても気づかぬピットフォールの闇をつぶさにとりあげていく。そこから見えてくるのは壮絶な世界だった。 &#160; 両者を見ながらアンビバレントな中でバランスを保ち続けることでしか架け橋になることはできない。しかしそれは容易ではない。本多勝一と山口昌男のエピソードをとりあげ、本多勝一の著書の視点が「没入の視点」＝「マイノリティ憑依」に陥らずに成り立っていたのは一瞬であったことが浮き彫りにされる。 &#160; 社会も変わる、共同体も変わる、自分も変わる。それぞれの関係性の磁場のなかで変わらぬ距離感を同じように持ち続けることの難しさ。それは時代とともに変わるものなのだろうか。本書を読み進めていくと沸き上がってくる感情だ。 &#160; 記者もデスクも好きではない市民運動を取り上げて紙面を飾り、庶民の代弁を果たそうとするマスコミは再び幻想の庶民をつくりだしていった。幻想の庶民の世論として掲載し世の中へアジェンダ設定を行うことによって。 &#160; 幻想の庶民は幻想であるがゆえに、どこからも意見や反論があがってこない。幻想なのだからでてこようもない。幻想の庶民はサバルタンなのだから、と本書は説く。現実との乖離はこうして生産され、修正の機会なく乖離は広がっていったということが現実のものとして理解できるようになる。 &#160; 当時の市民運動が金太郎飴的に同じ人物たちがやっているケースが多かったことがわかりやすく明かされている。岐阜県のチンチン電車の例からはじまる市民運動の舞台裏の話は生々しく、賛成派と反対派のデモに同じ人物を見つけたエピソードには、くすりと笑ってしまうおかしさがある。市民運動の種類が増えても関わっている人々が兼任しているのであれば、運動としてトータルの参加人数は増加していない。さらにマイノリティな内容を選択的にのせているわけだから新聞紙面に占める割合と比べて社会への影響力が少ないわけだ。長年の謎が解けて思わず膝を打ってしまった。 &#160; 本書の読み応えは社会に印象が残っている1960年代～70年代の事象をとりあげ、記者時代の舞台裏のエピソードと紐付けて解説してくれるところにある。ときに津村喬への後日の取材のエピソードも交えながら。当時をリアルに生きていた人でも表舞台と裏舞台をリンクして見れた人は少数であったに違いない。ましてや事件を過ぎたあとの取材、インタビューで延長戦を構成しさらに読み応えが増幅している。機が熟すところまで寝かせておいた蔵出し感が満載です。 &#160; パブーから電子出版もでています。490円という思い切った価格設定。]]></description>
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		<title>「当事者の時代」佐々木俊尚著を読んで　ーその1ー</title>
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		<pubDate>Wed, 18 Apr 2012 23:56:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Sunday blog</dc:creator>
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		<description><![CDATA[「当事者」の時代 (光文社新書) 著者／訳者：佐々木　俊尚 出版社：光文社( 2012-03-16 ) 価格：￥ 998 ISBN-10 : 4334036724 ISBN-13 : 9784334036720 &#160; ハイコンテクストな日本の社会も昭和の遺産となる日がくるのかもしれない。本書を読んだ時の初期に抱いた第一印象だった。 &#160; バックグラウンドを共有している濃密空間を前提としたハイコンテクストな世界は、多様化した価値観、世界観を前提とした社会では成り立ちにくくなって行くように思える。 &#160; 多様化したメディアを楽しむ世界になりつつある、いくつもの小さいグループができて、バックグラウンドは共有されにくい。そんなときにハイコンテクストな社会は特異なものになっていくのではないかと。しかし、行動様式は簡単にかわるわけではなく、ネット上のはてな村の例が紹介される。 &#160; そこではすでに独特の言葉遣いとコンテキストが駆使されており、ハイコンテクストなネット上のコミュニケーションが広がっている。行動様式は受け継がれているのだった。 &#160; そのあたりからぐっと視野を広げ1955年までさかのぼって、共同体から市民、市民運動、学生運動をつぶさに振り返ってみていく。当時の社会論のキーワードと、吉本隆明の大衆論の記述を引きながら。知識人と大衆は分離しているものとして風説が流れているときには現実の社会ではすでに大衆はすでに消滅しかかっていたことが解き明かされる。 &#160; 戦後から震災後へ。価値観の変化があり、時代の変化があり、世界観の変化があり、震災があり、パラダイムの一区切りができつつある。ひとつの節目を持ち越せるものと持ち越せないものがある。学生運動の話は持ち越せないものだとおもう。賞味期限が迫っている。今後は地続きとしての出来事ではなく過去の歴史の一幕として凍結された表現に変わるだろう。本書は60～70年代を精彩をもって描写する最後の本になるのではないだろうか。 &#160; 御茶ノ水のアジ文字の看板が撤去されて風景になくなるときれいに存在感がなくなったように感じる。かつては当たり前のように存在していたものでも2012年の今はその残骸をみかけることすら稀だ。 &#160; 「当事者の時代」で描かれている60年代の学生運動の情景は地続きの時代として想像できるギリギリの距離感の世代のように感じる。 &#160; 自分の時代背景を振り返ってみよう。高校生の頃、教師は元○○のセクトで、国語科と社会化は刺し合っていたかもしれない、彼も○○派で別のセクトだったのだ、と理科の先生が楽しげに語っていた。その理科の先生もたしかどこかの派閥だったような、いやノンポリだったか。記憶も曖昧になっている。そこには脈々とした学生運動の流れがあり、その残滓があり、青春の燃え滓が残っていた。残っていたのは社会は変わらなかったという漠然としたあきらめ、しらけムードとかいわれたそんなものもあったように記憶する。 &#160; 60~70年代というのはそんな距離感の引っかかっている何かだった。本書を読んでいくと、もやもやとして理解できなかった1960～70年代あたりのことが時代背景とともにすっきりと整理されてくる。自分が見ていた残滓はこういうものの残滓だったのだと。 &#160; 村上春樹の小説「ノルウェイの森」で緑の語るセリフは小説の中のちょっと気の利いた皮肉なのかと思っていたのだけど、生々しいリアルな当時の感情を表している言葉として響いていたのだ。たとえ当時は表明できずに心のなかに閉まっておいたとしても。 &#160; 「もうアホらしくて声もでなかったわ。革命云々を論じている連中がなんで夜食のおにぎりのことくらいで騷ぎまくらなきゃならないのよ、いちいち。海苔が巻いてあって中に梅干しが入ってりゃ上等じゃないの。」 &#160; 警察と新聞記者の濃密な＜夜回り共同体＞の明解な解説をを読んだあとから、日々のニュースのヘッドラインを見る視点がちょっと変わった。どうやって世の中にこのヘッドラインがでてきたのか少しだけ以前と違う想像ができるようになったのだ。その視点の差異はわずかだが、見えるものは以前の風景とはずいぶんと違っている。それは舞台裏を知ることで得られた行間への臭覚とでもいうべきものだろう。 &#160; 市民運動のメディアのとりあげ方、事件記事のときには夜回り共同体の存在であったり。 &#160; 2回目に目を通してみるとだいたい3冊分の内容が1冊に詰まっていることがわかる。新聞記者時代の話、これはそれだけで1冊になるくらいの内容で、何より小説のように浮かび上がる情景は読んでいてぐっと引き込まれる。読んでいて楽しい。 &#160; 「ニュース記事の舞台裏　～僕が一番機だったころ/夜回り共同体～」とでもして、いくつかの事件の舞台裏なども追加したらとびきりのドキュメンタリーになる。出版されたらぜひ読みたい。 &#160; パブーから電子出版もでています。490円という思い切った価格設定。その心意気と電子出版を応援したくなり購入しました。ブラウザで読む横書きも読みやすいことを発見。ブラウザ横書きも電子出版で有力な候補だと思いました。]]></description>
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		<title>「当事者の時代」（佐々木俊尚著）を読み始める</title>
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		<pubDate>Tue, 27 Mar 2012 19:53:23 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[最近の本棚]]></category>
		<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[「当事者」の時代 (光文社新書) 著者／訳者：佐々木　俊尚 出版社：光文社( 2012-03-16 ) 価格：￥ 998 ISBN-10 : 4334036724 ISBN-13 : 9784334036720 @sasakitoshinaoのキュレーションツイートは日々の楽しみだ。ちょっと目を引く情報、巷の気の利いた話題、「えっ！」と驚くような興味を引く話題を織りまぜて教えてくれる。ちょっとした気分転換にもいい。最近のツイートから「当事者であること」、がキーワードとして浮かび上がっていた。 震災やニュース、原発などを話題にするときに当事者性を保ちながらの発言がネット時代にはしっくりくる、ちょっと違う言葉で置き換えるならば等身大、身の丈にあった、とでもいえばいいだろうか。自分が生身の体で感じていることから距離を取り過ぎることなく、言葉を発すること、それを当事者というキーワードに集約することで説明するのであろう、という目測を読みはじめる前に立てていた。 さらにツイッターやSNSなどのITの視点を加えて語るものだろうと勝手な先入観で読み始めたのだが、冒頭でこの淡い期待は裏切られる。「当事者の時代」はねっとりとした羊羹のような濃い昭和の時代からはじまる。 冒頭は佐々木俊尚さんの新聞記者時代の夜回りの話である。圧迫感と息苦しさのあった時代の空気感を描写していく。当時の違和感を丁寧に言葉を紡いでいく。まるで小説のように。 そして警察と事件記者の謎解きのようなやりとり。気づけば昭和の香りにどっぷりつかっている自分がいる。これは小説を読み始めて引きこまれていくときの感触に近い。まだ10分の1も読み進めていないが、読みすすめるとどう変わっていくのだろうと期待せずにはいられない。 共同体をいくつかに分類し、整理して説明していく。中でも本書の中でラベリングされた「記者会見共同体」が2ちゃんねるにマッピングされるのはセンセーショナルである。ここでのマッピングとは分類として、イコール、ということである。 ITからとらえた今の「社会論」をイメージして読み始めたが、読み進めていくとそのイメージはちょっと違っていることに気づく。とらえようとしているスコープの範囲は戦後から震災後までと広い。戦後史から振り返り、マスコミによってイメージされた社会、当時の時代の空気感を思い出し、一歩進んで、新聞記者時代の経験を織り交ぜて新聞に踊っていたテキストの舞台裏と実際の社会との乖離を織りまぜた観察がなされていく。市民運動と新聞の紙面の舞台裏の解説はとびきりのドキュメンタリーとなっている。 戦後から災後の日本をとらえるときには読みたい本の1冊。 合わせて読みたい：]]></description>
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		<title>待ち遠しいkindleの時代 ~紙の本も共存して~</title>
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		<pubDate>Tue, 21 Feb 2012 22:14:53 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Sunday blog</dc:creator>
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		<description><![CDATA[電子書籍の日の出がこない。4月のアマゾンkindleの噂がでているがほんとうなんだろうか。 本を読む習慣があれば今ほしいのはデジタル書籍ではないだろうか。年間の予算は技術書なんかも含めて5万～10万程度くらい。年間予算としては中間くらいに属するのではないかと推察する。デジタルになれば本を置く場所を考えなくていいのは素晴らしい。 ニュースになるのは、紙の本を大事にする方向のものが多い。もちろん、紙の本にもお世話になっているし、紙の質感も好きだし、装丁なんかもわりと興味をもって眺めている。 それでも、これからの時代に向けて、電子書籍、デジタル出版の課金の仕組みが整わないのけしからん、という作家の動きがあってもいいと思う。たくさん読まれてこそ、作品を生み出したことの意義があるのだし。 個人的にはデジタルで読みたいタイプの本も多いように感じている。持ち運びが便利になるのは間違いないので、気が向いたときに目を通せる量も増えるのではないかとおもう。目を通せる量が増える＝購入量も増えるのではないかな、と。読める量が増えるのは活字中毒者にとっては喜ばしいことである。本棚の整理をしなくても検索性が維持されるし、読みかけの本もたくさん持ち歩ける、いうことなし。 デジタルになって嬉しかったのは辞書。国語辞典、英語辞典。英語辞典はiPhoneに複数入れている。辞書によって違いがあり、いくつか引き比べることも手軽にできるようになって嬉しい限り。困ったときにも心強い。 現在のところ電子書籍の動きはとても遅いように感じている。先日紹介したのDiigoなんて素敵なサービスが出てくると、もたもたしているとデジタル出版をさしおいて読み物はwebが一般的になるのではないかとさえおもう。 最近の生活を振り返ってみると、読書の時間も一部webを見ている時間にとって変わられているのに気づく。読み応えのあるものがそこかしこにでてきている。最近は読むものも紙の本が減り、webに移行しているものがあるように感じている。 電子書籍がもたついているうちに、本への関心が薄れてwebに情報取得の力点が移るのではないだろうかというのが考えもじわじわと頭をもたげてくる。著作権保護の仕組みも大事だけど、自分が所有している端末の行き来ができないようなものが多いと、デジタルで読むことの利便性は目減りしてしまい、普及も大幅に遅れることだろう。 もたついている間にwebが電子書籍に変わるものとして整ってきたら、そのほうが読み手としては嬉しいような気がする。いろいろな著者もブログやツイッターで自分の考えを記しているし、ともすれば本よりも興味深い角度になっていることも多い。わざわざ本にするほどではないけど、といったところが今までにない角度の読み物になっているのだ。それはタイムリーなものであったり、生ものに近いライブ感覚であったり、鮮度が高く今までとは違う魅力がある。 いっぽうでアマゾンのkindleには期待している。kindleはwebの閲覧もできるということなので、そのあたりのことも踏まえてどっちに転んでもいいように保険をかけているのかもしれない。 webが電子書籍として用いられるようになればプラットフォームでの覇権争いも、ジ・エンドである。そうならないうちに早めに対応してもらいたい。なんといっても日本のおうちは小さいんだから、これ以上本を置きたくないから買わないっていう人もたくさんいるはずだ。 もちろん今までのスタンスと距離の本も、存在意義はあるし、なくなることはないのだろうけれども、現在からは少し存在感が薄まるのだろう。 TV、ラジオ、新聞がwebが普及するに連れて、バランスが変わってきたのと同じように。既存のものがなくなるわけではないけれども質が変わり、接する時間やタイミングが変わっていく。プラットフォームの覇権争いというと、ともすればカセットテープがCDに変わったり、ベータとVHSの戦いだったり、ゼロサム・ゲームの劇的なイメージも強いけれども、そこまでいかない併存・共存するイメージを抱いている。10年後に振り返ると今の時代はどう見えるのだろうか。]]></description>
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		<title>ハルキ・ムラカミと言葉の音楽</title>
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		<pubDate>Tue, 26 Oct 2010 01:25:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Sunday blog</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[ハルキ・ムラカミと言葉の音楽 価格：3,150円（税込、送料別） 最近出たインタビュー集を読んで、翻訳者の佇まいと息づかいに興味を惹かれて、読みそこねていた本書を読むことにしたのだった。 驚くべきはジェイ・ルービンさんの緻密な探究心である。村上春樹の作品を年代順に追っていくのだが、事細かに作品ごとに村上春樹とのエピソードが綴られている。 たとえば「とんがり焼の盛衰」のエピソード。 とんがり焼が書かれたあと、春樹と陽子が東京の大通りで菓子の大きな広告を見て仰天した。それはなんと、「とんがりコーン」という円錐形のコーンチップスだったのだ。 今ではとんがりコーンのほうがすっかり有名だが、と付け加えることも忘れない。 日本のスナック菓子のことまで極め細かく追いかけているという熱意には感心してしまう。 またあるときには60年代70年代の学生運動の虚しさ、空虚感を感じているものもいたことをまるで目の前でみてを呼吸してきたかのように描写している。 翻訳者として、英語と日本語の表現の違いに関しての考察。 「雪が溶けて水になる」と「雪が溶けて川となる」の違いの例をあげて解説している。前者では、雪は実際に物理的に水になり、後者では「川」は物理の法則に従う現象というよりはむしろ概念である。英語にはこの種の区別はない、と。 作品の裏も表も知りぬいている、原作者よりも知っている気になっていた翻訳直後の頭のなかをお見せしたかった！とルービンさん自らのエピソードもおもしろい。 「ねじまき鳥クロニクル」の2巻〜3巻を翻訳に際してはだいぶ整理された、らしい。翻訳ってそういうこともあるのか、と新鮮な驚き。 翻訳とグローバリゼーション、重訳をめぐっての論議。英語から多言語に訳されることも多いそうで、となると英語でされた解釈が多言語でも展開されてしまう。作品のハリウッド化だ、として起こった論議のいくつか。 巻末の付録の中のエピソードも興味深い。 ルービンさんは夏目漱石を研究する日本文学者だったそうですが、とあるときに出版社から翻訳する価値があるか、村上春樹作品を日本語で読んで評価を聞かせて欲しいと依頼されて、期待せずに読んだのが初めてだそうです。 それが「ハードボイルドワンダーランド」で、すっかり引き込まれて熱中してしまい、出版社には、検討中の翻訳に万が一不満があれば自分が翻訳をするべきである、と伝えた。しかし出版社にはその申し出は無視されたのである、と。 以後10年ほど、漱石はすっかりお留守になり、ハルキ・ムラカミばかりやっていた、そうです。 生きている作家とレコード店を巡ったり、作品について大学の講義で本人と議論したりするのは死んでいる作家ではできない心踊る出来事である、と。 こんな熱心な翻訳者に作品が訳されるというのはなかなか幸せなことなんだろうな、ということがわかります。]]></description>
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		<title>夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです　村上春樹インタビュー集1997-2009</title>
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		<pubDate>Tue, 05 Oct 2010 22:32:06 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです 価格：1,890円（税込、送料別） 本屋で手にとったとき表紙の暗い印象に、「なんでこんなに暗い印象の装丁にしたんだろう」、と不思議に感じたことを覚えています。読みすすめていくと、人のもつ暗闇への探求が小説を創作する大きな原動力になっていることがわかります。「お、なるほど、そういうことでこの表紙になったのか」と。 海外の雑誌でのインタビューが多く、国によってインタビューのトーン、方向性が違う。微妙に異なる角度からの質問は、村上さんをいろいろな角度から浮き彫りにしてくれます。 海外のインタビュアーは好意的な人が多く、村上さんの人物像と創作プロセスに深い好奇心を寄せています。そのせいかあまり読んだことのないインタビューになっています。創作へのモチベーションや、プロセスなどをとても真摯にこたえていて、そしてときに直感的な作業をしていることが伝わってきます。「そうか、そんな風にやっているんだ」と。 海外でもインタビューは受けないことが有名なようで、雑誌掲載の際にはその前置きがあり、「いかにこのインタビューが貴重か」をせつせつと訴えていて、なかなかいい余興となっています。そしてもちろん本編も興味深い内容になっています。 小説のようによみごたえがあって、すっかり引き込まれます。翻訳も出版されるんじゃないかな、というくらい「読みで」があります。]]></description>
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		<title>ごはんのことばかり100話とちょっと</title>
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		<pubDate>Mon, 02 Aug 2010 23:58:39 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[ごはんのことばかり100話とちょっと 価格：1,260円（税込、送料別） ごはんのエッセイ。よしもとばななを読むのは久しぶり。短いテキストのなかにじわじわと伝わってくる息づかいが感じられる。読んでいるうちに気分もほっくりしてくるのが不思議。]]></description>
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		<title>Flash Math &amp; Physics Design ActionScript 3.0による数学・物理学表現[実践編]</title>
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		<pubDate>Sat, 19 Jun 2010 17:22:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Sunday blog</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[Flash Math ＆ Physics Design（実践編） 価格：3,360円（税込、送料別） こういうテーマはなんだか惹かれるものがある。実践編をさきに買ってみたのだけども、よかったのだろうか。アマゾンのレビューを読むと入門編がよく理解できた、とするコメントが多い。これは入門編を先に読んだ方がよかったのかも知れない、と思うもあとの祭り（笑）。 こういう技術系の本に時間をかけるコツってないものだろうか？適当に流して読むと覚えられるところまでいかない、丁寧にやりすぎるとなかなかすすまない、そんなジレンマは永遠のテーマかも知れません。 おそらくつまみ食い的に読み進めて、概念だけを理解することになるでしょう。自分はそんな距離感で今後もいくのだろうな、と思いつつ。]]></description>
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		<title>「数学で犯罪を解決する」</title>
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		<pubDate>Sat, 19 Jun 2010 17:11:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Sunday blog</dc:creator>
				<category><![CDATA[本]]></category>

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		<description><![CDATA[数学で犯罪を解決する 価格：1,995円（税込、送料別） 「NUMBERS」という海外TVドラマがあるそうで、その番組で使われている数学のロジックを解説してくれる、というのが本書の趣旨。好奇心に惹かれるままに展開していく内容はなかなか興味深いのであります。 アルゴリズムがいろいろなものを解決してくれる、っていうのはなんだか興味を惹かれるテーマだ。難解なデータの山にフィルタをかけると、無意味に見えるランダムさから一連の意味のあるものだけを取り出してくれる、なんて理想的な世界。こんなものが自分でつくれたらいいなあと思い立ち返る現実。現代の錬金術にもなりそうなアルゴリズム、都市伝説にもなりそうな優秀なアルゴリズム、ああ興味は尽きない。問題はそんなアルゴリズムをつくる数学的センスを自分が持ち合わせていないことだ。 しばらくツン読してあった本書、やっと読む出番がきたのであります。めでたい。 追伸：「NUMBERS」もレンタルで借りてきました。これで本書の世界が深まるに違いない。 &#60;6月28日追記> 「NUMBERS」先日観たのですが、なんだかそれほどはまれず。うーん、1巻だけで終了な予感。]]></description>
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